3.11

こんにちは。

東日本大震災から5年が経ちました。

わたしは2011年3月11日、東京で大きな揺れを体験しました。
当時住んでいた千葉県の幕張は液状化の被害と、マンションは水道の故障で水が出ず、数日間は同僚の家に泊まらせてもらいました。
余震に恐怖を感じながらも、自分に何ができるのか、悩みました。

震災から一か月半後の4月29日、
私は取材を兼ねて東北へ向かうことを希望しました。それが私にとっての、初めての東北の地。

宮城県石巻市と気仙沼市。
そして、岩手県大槌町。

まだ瓦礫が多く、自衛隊の車が行き来するような時期でした。

石巻市は大きな道路の両側に瓦礫が高く積み上げられていて、車で通ると土埃が舞い、窓は開けられませんでした。
大きな看板に手書きで【がんばれ石巻】と書かれていました。震災の現状にショックを受けていた私の方が励まされた記憶があります。

気仙沼市の漁港は、一か月以上経っていてもオイルの匂いが強く残っていました。
黒く焦げた漁船。浸水が引かない漁港町。
川を遡上した車や船が、そこかしこに乗り上げられて残っていました。

大槌町は、ほとんど手付かずで、アパートの上に大きな船が乗ったまま。崩れかけの家屋。凹んだ消防車。大槌町は被災地の中でも、行方不明者数が飛び抜けて多い町なんだそうです。
家財道具も散乱していました。
服、茶碗、三輪車…人の営みがここにあったんだと知ることができます。

…なのに、誰もいない町が目の前に広がる。

その場に立ち尽くす事しかできず、
涙さえ出てきませんでした。
あの頃、肌で感じた虚無感。。。
いまでも忘れません。

この取材は被災地の桜を追うものでした。
海水をかぶった桜、根こそぎ抜けてしまった桜、幹の一部がえぐられた桜、その全てが懸命に花を咲かせていたんです。

驚きとともに、強く生きる力をもらえた気がしました。

2011年夏には、福島県いわき市へ。
震災復興の花火大会の中継へ行きました。
鎮魂と復興の願いをこめて、夜空に光る大輪の花。高台から眺めていると、町の皆さんも集まってきます。そして声をかけてくださいました。

【こうやって、いわきに来て欲しい。町の良さを知って欲しい。】

前に進む力強さを感じました。

そして2015年3月、再び気仙沼市へ。
あれから4年経った町では、桜の植樹が行われていました。長野県飯田市から桜の苗木を植樹する一人の女性を追いました。

素手で土を掘り、新しい命の根を植えました。見ているだけではいられず、私も一本植えさせていただきました。
その春、桜が咲いたそうです。

あの桜は、きっと今年も花を咲かせます。

私は震災をきっかけに東北へ行くようになり、そこで出会った人たちがいます。
その人達のことを伝えるのが、今私にできる役割だと思っています。

そして、これからできる私なりの支援を考えていこうと思います。