デキすぎた話

私の中で、「五月は不調」というジンクスがありまして

俗にいう「五月病」ともまた違う、

「五月不調」。

そもそも五月病とは、GWにウェイウェイしていたのに

休み明けに無情のごとく仕事がバキバキ始まって

その高低差に耳がキーンってなる的なやつだと思うんですけど(テキトー。)

環境の変化によるストレス。

ということで、新入社員や部署移動をした人なんかが多いそうです。

だけどね、私は新入社員でもなければ、部署移動もないのよ。

なんなら週5で働いてるわけでもないから

もはや毎日がGWみたいなわけで

竹内まりやさんの「毎日がスペシャル」を毎日聴いちゃうぐらいのテンションなんですよ。

それなのに、一丁前に毎日頑張る皆さんと同じように五月に不調を訴えるって

もう国からしたらクレーマーよ。

「働かざる者、病むべからず」。

そんな言葉が脳内にぐるりと一周したところで気付いたことは

「五月病」の原因が、環境の変化によるストレスならば

「五月不調」の原因は、年齢の増加によるストレス。なのではないかと。

ということで、お久しぶりの皆さんも

はじめましての皆さんも

ありがとうございます

5月で34歳になりました。

32歳から33歳になった時、大きな変化を感じましたが

33歳から34歳になった時、鉛のような変化を感じました。

30代前半の前半は

「30代、なりかけの私」みたいなエッセイが書けそうでしたが

30代前半の後半は

「30代、酸いも甘いも!」みたいなエッセイになりそう。

ここ1年は大きな変化の年でした。

仕事も少しずつコロナ禍以前の状態に戻り

プライベートでは、人生のパートナーを見つけることができました。

今までたくさん愛してくれた家族の元を離れて

これからたくさんの愛を紡いでゆく新しい家族へ

それは本当に、本当に大きな変化です。

そしてそれを心から喜び、感謝できるのは

今までの人生で関わってきてくれた全ての人たちのおかげです。

愛は必死に探しだすものではなく

愛はふと気付くもの

愛はずっとそこにあったのだと

最近になってわかったのです。

ずっとあったものといえば

5月の初旬から

私の右耳のすこし後ろに

大きなふくらみがありました。

そして私はこのふくらみに覚えがあります。

そう、去年の7月に切除した

Fun-ryu

その時のブログでもお伝えしましたがhttps://blog.stardust.co.jp/erikamatsubara/2022/07/

粉瘤は訳もなく突然現れるのです

こちらの都合など考えもせず

最近連絡が取りづらくなった彼氏の家の前に

突然現れて「来ちゃった♡」という、あれですよ。

粉瘤、来ちゃった♡

できすぎじゃない?

粉瘤、ちとできすぎじゃない?

しかも前回のところと3センチも離れてないのよ。

右側だけ、えらいお祭り騒ぎ。

でも、病院に

い・き・た・く・な・い

ニキビかもしれない!と自己暗示をかけ

毎日毎日鏡とにらめっこ

もしかしたら、治るかも。

そんな淡い期待とはUra-Hara☆に

いる。

ずっといる。

雨の日も雪の日も、終電がなくなる時間になっても

玄関の前に立ってる彼女みたいに

ずっといる。

こうなったら仕方がない

と、ついに重い腰をえいやこらと上げ

皮膚科へ。

診察開始ものの3秒で

「はい、粉瘤です」とご快答

いやはや、あなたは名医ですね

なんて感心していると

「今日手術して帰りますよね?」と

術後の経過観察についての説明を始める看護師さん

軽いのよ

毎回言うけど

軽いのよ、ノリが

「お風呂上りピノ食べるよね?」

みたいな感じなのよ

と、まぁそんなこんなで

流れは前回と同じ。

こうして無事、粉瘤を切除してもらい

少しの間、首の後ろに大きな大きなガーゼを当てて生活しています。

もしこのタイミングで私を街で見かけた際は

「うわぁ。松原さん中二病じゃん」

と思わないでいただきたい。

闇の組織ダークユニティによって焼き付けられた烙印が

フェニックスのわななきのたびにうずいてしまうから

包帯をしているわけではありません。

粉瘤を切除したからです。

五月の不調は今年も健在。

ですが

考え方を変えれば、この程度で済んだということ

日々、感謝と謙虚を忘れずに過ごしたいものです。

最後に

新婚旅行で訪れたモルディブの写真を…。

ではでは皆さん

健康にはくれぐれもお気をつけて

またねん。

ご報告

っていう書き出しだと、

大抵が結婚報告か転職なわけで。

インスタでもご報告させていただきましたが

私の場合は前者です

引き続き全力で仕事を続けたいと思っています。

思い返せば小学生4年生の春

長蛇の列ができているバス停で

なかなか来ないバスを待ちながら

友達と何歳まで結婚したいか話していました。

私はその時の自分の発言をやたら詳細に覚えているんですよ。

「大学卒業が22歳だから23歳で結婚だよね、普通は。

相手は大学3年ぐらいの時から付き合っている人でさ、まぁ女子大だから

サークルとか文化祭で知り合った

慶◯大学卒の1.2個上の先輩とかになるのかな、

やっぱり。

子供は2人以上は欲しいし、

二十代で1人目は産みたいから…2人だけの時間も大切にするとして…

逆算すると23歳で結婚が一番スムーズなのかな?」

フル◯ッコですよ。

処す?処す?

あの日の私、処す?

普通はって。

その普通になるために

どれほどの奇跡に出会わないといけないか

まるでわかってないですね。

20代になれば

当たり前に素敵な出会いがあり

当たり前に素敵な人と付き合えて

当たり前に素敵なプロポーズをされて

当たり前に素敵な結婚をする

と信じてやまなかった

結果

誤算10年。

この10年の重みは計り知れない。

さてここからは

インスタなどではなかなか詳しくお話できないことですが

もしご興味があれば読み進めてください。

随分とたくさんの方から

「松原さんは結婚できない」説を唱えられ

ほぼ都市伝説化。

その大半が

潔癖という鉄壁

共同生活が強要生活にならざるを得ない

数多の松原ルールを根拠に挙げていました。

たとえば、

・私のベッドに近づかない

(触れない、座らない、寝ない)

・郵便物を家の中に持ち込まない

(玄関で開封)

・帰宅後すぐにはクローゼットに服を入れない

(専用の場所に半日以上干す)

・洗濯物は3カテゴリーに分ける

(私の中でのキレイ度、高い順に)

①タオル、インナー

②オシャレ着

③ボトムス類

・洗濯物はためない

(一日最低2回は洗濯する)

・食器は5分以上流しにためない

(すぐ洗うか、食洗機へ)

・お風呂掃除は全裸で

(入浴後すぐに洗う)

ほんの一部ですが…

書き出したら、やめられない止まらない

小さなものから大きなものまで

まだまだ…正直ここに書けないぐらい細かすぎることまであります

なので、今回のご報告を各方面にしたときに

第一声が

「え?大丈夫なの?」

です。

そりゃぁまぁ大丈夫か大丈夫じゃないかと聞かれると

「大丈夫です!」とへらへら答えるしかないけど

よくよく考えたら

「その潔癖で、他人と暮らせるの?

松原さん、大丈夫なの?」

という意味じゃなくて

「その潔癖と一緒に暮らす人、ストレスになるんじゃない?大丈夫なの?」

もしくは

「その潔癖を知っててなお、松原さんと結婚できる人、変わってるんじゃない…?大丈夫?」

はたまた

「その潔癖を隠してるんじゃないの?バレたとき大丈夫?」

という心配が入り混ざった

なんとも複雑な

「大丈夫なの?」だったんだと思います。

言葉って怖い。

「大丈夫なの?」に秘めた想い、重い。

まぁ端的にいうと

相手は潔癖とは程遠い

使いかけの歯ブラシをリビングのソファに放置してみたり

(知らずにその上に座って発狂)

床に置いたカバンをダイニングテーブルにおいてみたり

(ダイニングテーブル=床になったことを説教)

デニムのままベッドに入り込む習性があったりもします

(言葉を失い…以下省略)

ですが

ただひたすらに私を大切にしてくれる人です

お互いが出会うまで

全く違う人たちと過ごし

全く違う景色を眺めて

全く違う人生を送ってきました

私はあまり成長できないタイプですが

最近になって少しだけ

成長できた部分がありまして

それは

完璧を求めないということです

自分にも、他人にも

そしてその不完全さこそが

愛おしく魅力であるということも

何となくわかった気がします

だからこそ

この違いを大切に抱きしめられたらと思っています。

人生で掴み続けられるものはそう多くなく

両手がいっぱいになったら

少し力を抜いて手放さないと

新しいものは手に入れられません

幸せとは

ふと肩の力を抜いた時に気づけるのだなぁと

なんとなく、そんな気がします。

ありがたいことに

健康であり、好きなことを仕事として続けられてきました。

それは私の努力だけでは実現しなかったことで

たくさんの方の優しさとサポートによって叶えられてきたことです。

夢はまだ遠く、目標は高いですが

今この瞬間に笑顔でいられることを心から幸せに思います。

いままでも、これからも

関わってくださる全ての方に感謝しながら

一日一日を丁寧に過ごしていきたいと思います。

お仕事も、まだまだたくさんの目標があります。

日々精進しながら、

多くの方にたくさんの”笑顔になれる”言葉をお届けしていきたいと思います。

2023年も、その先も

どうぞ末永くよろしくお願いします。

それではみなさま

良いお年をお迎えください。

ばいちゃんちゃんチャイティーラテ。

耳の裏にデキた話

皆さんお久しぶりです。

お元気でしたか。

私はと言いますと、

なんかまぁ、いろいろありましたが、

毎日へらへら笑いながら暮らしております。

前回の更新からだいぶ時間が空いてしまった理由としては

stand.fm「松原江里佳のちょっとお時間よろしですか」通称「よろしか」

の企画・台本作りにすこしばかり時間を費やしすぎておりました。

去年の11月から始まり、もうすぐ80回目を迎えます。

私の性格の良いところでもあり悪いところでもあり、

結果どっちでもないところが「完璧主義」なところ。

番組のコンセプト…というかstand.fmのプラットフォームのコンセプト自体が

「気軽に。誰でも」みたいなところがありまして

それをガン無視して「緻密に。プロらしく」なんて考えちゃってるもんだから

まぁ結構努力はしています。

それがどんな結果になっているのかはまた別の話で

そもそも才能が有れば台本なしで何時間でも話せるんでしょう。

私にはその自信も実力もないので

「よろしか」で少しずつ成長していければいいなって思ってます。

皆さんの大切な時間をいただいて聴いてもらうので

損はさせたくないんです。

そうなると、聴いた後にちょっとでも知識(主に使いようのない雑学)が増えるような内容にしたら

とりあえず、後悔はしないだろう。と思いまして

もはや話術には頼らない戦術。

良く言えば「内容で勝負」

これからも気が向いたときにでもぜひお付き合いください。

要領よくなりたい。そんなことを願う旱空の下

スイカをむしゃむしゃ頬張りながら、「え、夏じゃん、ウケる」とつぶやいておりました。

口からまろびでたスイカの種が、あれこんなところについてるよ

耳の裏。

右耳の後ろが、触るとぷっくり膨らんでいます。

「いやこれスイカの種じゃなくない?」と気付いたのは3日後。

鏡を駆使して耳の裏を確認したら

なんか赤くなってる。

家の中でふわふわ浮遊しているお父さんを捕まえて相談してみると

「明日皮膚科へ行きなさい」

と言われたので、素直に従ってみました。

『ニキビかな?マスクの摩擦かな?』

なんてのんきなことを考えながら診察を受けると

なにやら雲行きが怪しい。

診察をしてくれたお医者さんは奥へ引っ込み

代わりに、にょろっと院長が出てきて

「あ、いまから手術しましょう」

と、一言。

「あ、いまからカラオケ行かない?」みたいなノリだったので

思わず「はい」と答えたけど

え、どういうことですか?

快答とは裏腹な顔をしている私に気が付き

「大丈夫、麻酔するから痛くないですよ」

と先生がフォローしてくれたけど

「その麻酔の注射が痛いんだけどね」と看護師さんからの追加情報があり

詰んだ。

そもそもこのデキモノは何ですか?と尋ねると

「粉瘤」というものらしく

悪性ではない場合がほとんどですが、

放置しておくと悪さんぼをすることもあるんだとか。

簡単に言うと、皮膚の中に袋ができて、そこに金銀財宝なんかが溜まっちゃうらしくて

薬では治せず、治すには必ず手術が必要とのこと。

金銀財宝が溜まるなら悪くないけど

まぁそんなうまい話はないわけで、もっぱら老廃物しかたまらないのが人の常。

「この後仕事なんですが、大丈夫ですかね?」

「大丈夫ですよ~15分ぐらいで終わりますので」

そうして私の手術は始まりました。

手術は患部を切開し、袋ごと取り出すもので、特殊な器具を使うそう。

まずは6か所ほど耳の裏に麻酔の注射をして、

麻酔が効いてきたころ本編がスタートなんですけど

まずその麻酔が痛い。

え?まだ打つの?って聞きたくなるぐらい、打つ。

LINEのスタンプ感覚でどんどん打ってくる。

「っちょ、ちょま」

って言いながら悶えたら、看護師さんに足を抑えられました。

一分もたたないうちに

「そろそろ効いたかなぁ?」って先の尖った器具でつんつんしてくる。

鈍痛。って感じで無痛ではない。

「あ、まだ、なんか、たぶん、板尾です」

緊張しすぎて、肝心の「痛いです」を「板尾です」って言っちゃう。

「うん、効いてる効いてる。大丈夫」

そういいながら、有無を言わせず入刀。

耳の裏側という、見えない部分で行われる披露宴。

長い、入刀が、長い。

「はい、今がシャッターチャンスですよ~」と言わんばかりに

全方面に新郎新婦が笑顔を振りまいているがごとく、長い。

そしてなんかやっぱ、痛い。

感じたことのない、痛み、

たとえるならば、

カサブタになりかけの皮膚をはがしてそこにフォークをねじ込んでるイメージ。

私が痛みに悶えて暴れようものなら、すかさず看護師さんの腕が伸びてくる。

「はい、大丈夫~大丈夫~深呼吸」

大丈夫、とは。

そんなこんなで無事に摘出手術は成功。

「綺麗に袋が取れましたよ~もうおしまいです。お疲れ様」

その言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜け

思わず涙がこぼれました。

砂浜に打ち上げられたクラゲのごとく干からびかけている私をよそに

院長先生は爽やかに去っていきました。

「お、お待ちください、せめてお名前を…」

そんな言葉も届かず、しばらくベッドで無気力に横たわっておりました。

「SHIGOTO」

この言葉が脳内を30万回再生ぐらいしたところで

意識と正気を取り戻し

耳の裏に止血バンドと包帯を付けてみなとみらいまで馳せ参じました。

まぁ私の判断ミスとしては

ラジオの収録の日に、耳の手術をしたことですかね。

まず、ヘッドフォンがつけられない

そして耳の周りがぼんやり重く、聴力がうまく機能しない

「 この後仕事なんですが、大丈夫ですかね? 」という問いかけの中に

「ラジオの仕事で耳を使うのですが、支障はないですか」という意味を含んでいたなんて

いくら名医でも気づくまい。

というか、動揺しすぎて伝えるの忘れてた。

念のため、摘出した部分は検査され、良性であることもわかりましたが

粉瘤の原因はいまだはっきりとはわかっていないそうで

誰でも、どこにでもできうるものだそうです。

ニキビかな?ただのしこりかな?と放っておかないで

長引くできものは、一度専門家の診察を受けることをおすすめします。

だれでも、どこでもといえば、

stand.fmのアプリなら

だれでも、どこでも、いつでも、なんどでも私の声が聴けます。(しつこい)

忙しい毎日に疲れたら

ちょっとだけ、くだらない時間を過ごしてみてください。

久しぶりに会った友達が

会社のお昼休みに「よろしか」を聴いてくれているらしく

「会社では黙食だからさ、聴きながら食べるのにちょうどいい長さなんだよね」

と言ってくれました。

その時は「ありがとうありがとう仏様」とお礼を言いましたが

ふと、

食事中にふさわしい話をしていただろうかと不安になりました。

話したいことはたくさんあったけど、今日はそろそろこの辺で。

ではでは皆さま、熱中症には十分気を付けて

素晴らしく健康な夏をお過ごしください。

では、また。

ばいちゃちゃちゃ冷麺。

おまけ。

2022年宇宙の旅

皆さんお久しぶりでございます、本当に。

お元気でしたか?

前回のブログ更新から二か月ほど経ちましたが、

世界では、目がシパシパするぐらいの変化がありました。

どうやら花粉のせいだけではないようですね。

心穏やかに朝日を喜べる日が来るまで、あといくつの夜を超えればいいのでしょうか。

とりあえずそのころまでには、口内炎が治っているといいのですが…。

ということで、先日の本当にあった怖い話なんですけど

普段はなかなかできない口内炎ができまして、

なんかわりと存在感がすごくて

日本史の教科書でいうところの徳川家康レベル。

痛むけど、気にせず放置、口内炎

と一句詠んでも詠んでも

治らないんだ。いっこうに。どんだけ。

しかもさ、歯がちょうどあたるところにできちゃったから

食事もまともに楽しめない。咀嚼が修行。痛い。

最初は気のせいかななんてへらへら笑ってたけど

だんだん不安は確信に変わっていって

最後のほうはもう、「夢であれ!夢であれ!」って言いながら噛んでた、レンコンを。

口内炎ができてないほうで噛もうと、首を60度くらい傾けてるから

視界が常に、ひとりビックリハウス。

自宅のダイニングテーブルで軽く船酔いしたわ。

とどめのグレープフルーツで、はじけるフレッシュ果汁攻撃をダイレクトに受けまして

悶絶した私に、父が一言「歯医者に行きなさい」

しみるわぁ、しみる。グレープフルーツ果汁以上にしみる。

父の口から、これ以上に的を射た言葉は今年出ないとおもう。

ということで、歯科医院に行くことにしたんですけど、

そこの病院は、予約が必要なことすっかり忘れてたんですよ。

おもむろに電話して「今日って午後の診察何時からですか?」

って尋ねたら

「ご予約名を教えていただけますか?」

と返されたので

「あ、口内炎の松原です」

とっさに、謎の返しをしてしまいました。

じわじわくる恥ずかしさを必死でこらえながら名前を告げ、翌日の予約をとることに。

受付「カルテの保存期間を過ぎているようなので、新規登録が必要です。診察の少し前にお越しください」

私「2,3年前にも口内炎で受診したのですが…そのときのカルテはないですか?」

受付「…かしこまりました、再度確認しますのでしばらくお待ちください」

―数分後―

受付「やはり残っていないようなので、また問診票の記入をお願いします」

私『ないわけないんだけどなぁ。ちゃんと探してくれたのかな』

そう思いながらも電話を切りましたが、やはり腑に落ちない。

絶対に口内炎で受診しているのに。

そして翌日ーー。

問診票を書いて渡したものの、まだどこか納得ができず再度受付の方に

「2,3年前に受診していると思うのですが…ないですか?」

と迷惑にも尋ねるも、やはりどこにもないようです。

問診票を書くのが嫌なのではなく、自分の記憶と違っているのがどうもこうも気持ち悪い。

と、その時、当時のことをブログで書いていたことを思い出したのです。

なぁ~んだ、それを確認すればいいじゃない!私っておバカさん☆

と、待合室でにたにたしながら過去のブログを探しはじめました。

2019年からさかのぼり、それらしきタイトルを見つけようとしましたが

ここで一つ、私のブログの致命的な欠点がわかりました。

それは、タイトルから内容が推測しにくい。ということ。

恨むわぁ、恨む。当時の私の脳内どうなっているんでしょう。

と、過去の自分にツッコミつつ

バックナンバーを漁ったのですが

出てこない。

あれ?

ない。

いや、本当に、もしかしたら

私の記憶違いなのかもしれない。

「夢であれ!夢であれ!」過去の記憶が夢であったのかもしれない。

そんなわけない。

確かに、私はこの歯科医院で、この待合室で、このソファで

名前を呼ばれるのを待っていた!!!

まさかと思い、2018年を探してみる

ない

まさかまさかと思い、2017年を探してみる

ない

まさかまさかまさかと思い、2016年を探してみる

あった

え、怖いんですけど。

6年前の出来事を、2、3年前とか豪語してた私

怖いんですけど。

しかもそのブログ読んでみたら

当時の私も、完全予約制ってことを忘れてて、飛び込みで受診してるんですけど。

失敗から何も学ばないタイプ。

ちょっともうこれは懺悔的な意味でURL載せときますね。もしご興味があったら。

https://blog.stardust.co.jp/erikamatsubara/20161022_1034/

っていうのが最近の本当にあった怖い話ですかね。

その後無事に口内炎の治療は済みまして

あとは痕が消えるのを待つだけとなりました。

ですが、時の流れをまだ把握しきれない己に対する嫌悪感にも似た心の傷跡は

しばらく疼きそうです。じんじん。

さてさて、

この4月から新生活がスタートした方

現状維持の方

様々いると思います。

出会いがって、別れがあって

変わってゆくもの

変わらないもの

変わりたくないもの

変われないもの

その中で、たった一つでも

大切にできるものがあれば、それはきっとあなたにとっての宝物。

東京の桜はほとんど散ってしまいましたが

新緑の季節にむけて、街が、空が、日々生まれ変わってゆきます。

新年度の目標を胸に

少しだけいつもより大きく息を吸い

一歩、違う世界へと踏み出してみたいと思います。

願わくは、失敗から学べる人間になりたい。

欲をいえば、タイトルから内容がわかるブログを書きたい。

せめて、時間の感覚をつかめる人間になりたい。

おまけの写真です。

ではまた♪

追伸

引き続きstand.fm

「松原江里佳のちょっとお時間よろしいですか?」

番組のフォロー&レターお待ちしています。

https://stand.fm/channels/61691c87afa93b18fcfa3a6b

各配信が10分ほどなので

通勤や朝の支度、寝る前のベッド時間に、ぜひ♡♡

無料アプリダウンロードで

いつでもどこでもなんどでも聴けます♪

みなさんのお耳の恋人にしてください。

ばいちゃんちゃんこ鍋。

ある意味、相対性理論

みたいなものなんですよね

時の流れって。

残酷さと無情さを盾に

不可逆性という名の武器を振り回し

容赦なく降り注ぐんです、私の顔面に。

ということで、2022年になり早くも一か月以上が過ぎました。

皆さんお元気ですな。(断定)

令和何年だかもわからないのに、20??何年だかもはっきりしないの私だけですか。

この間、甥っ子にどや顔で「2023年おめでとう」って言ったからね。

とらなくていい年を無駄に一歳とったからね。

歳といえば今年は後厄だったので、すべり込みで行ってきました厄払い。

節分までがタイムリミットだと以前のブログでお伝えしましたが

【参照*2020 困る前から神頼み

   *2021 なんやかんや厄年

こうも連続でギリギリを生きていくなんて、B’zかKAT-〇UNぐらいですよほんと。

そんでもって、厄払いをしてもらう時に名前と年齢を読み上げてもらうのですが

数え年?なのかなぁ「渋谷区の松原江里佳 34歳」

って言われて、もうね、口からなんか出た。

神の御前で、まろびでたわ。

まだギリギリ32ちゃぃ♡なのに、不意打ちで+2歳はわりと罪。

まぁそんな感じでみぞおちあたりに謎の不快感を抱きながらも、無事厄払いが終わり

もう今年は良いことしかおきません。あなたも、私も。

ありがとう世界。

ということで、今年の目標は、「大きな一歩を」です。

いままでの2年ほどで停滞した運気を大きく動かす時だと、鮫肌で感じております。

新年のご挨拶が遅れてしまった正当な理由としては

以前もちらっとお伝えしましたが

stand.fmというアプリスタイルのラジオ番組を去年の年末からはじめまして

松原江里佳のちょっとお時間よろしいですか

そのネタ探しや企画会議等に追われておりました。

お詫びといってはなんですが、無料アプリダウンロード&番組登録していただければ

いつもの生活に、ちょっとの笑いが生まれるとか、生まれないとか。

「松原江里佳のちょっとお時間よろしいですか?」通称よろしか。

毎週月曜日、木曜日朝8時最新エピソード配信中です。

全エピソードが10分前後の構成なので、ぜひお気軽に虎イしてみてください。

近々番組史上最大の企画があるなんて噂もあります。

ハードルは、上げる主義です。下を通り抜けるから。

ということで、皆様からのレターやコメントお待ちしております♪

そして不当な理由としては

オタ活に夢中になりすぎて、我を忘れていました。

李徴です、もはや。

寅年だけに。

K-POPアイドルにどっぷりはまり、沼通り越してダム通り越してアトランティスです。

新大久保は聖地通り越して世界遺産通り越してエルサレムです。

暇さえあればYoutubeやInstagramで推しの顔面を拝んで、祈りをささげています。

手をすりすり合わせすぎて火を起こせそうです。やっぱり時代は一人キャンプだもんね。

みなさんはお休みの日に何をして過ごしていますか?

松原家の休日はといいますと、

よく姪っ子甥っ子たちが遊びに来てくれるのでわりと賑やかです。

先日はアナ雪のコスチュームに身を包んだ姪っ子が、

「えりかちゃん、魔法をかけてあげる~」と魔法の杖をフリフリ、可愛く言ってくれたので

「ん~じゃぁ、若くなる魔法をかけて」とお願いしたら

「あ、そういうのは、やってないです」って

割と真顔で返されたのがハイライトですかね。

世知辛い。

私の心にダイヤモンドダストですよ。

少しも寒くない~♪どころか極寒だよ。

寒い話ついでに、最後は私がヒヤッとしたエピソードを。

先にお伝えした厄払いですが

初穂料を納めるため、のし袋の準備をしていた時のこと。

お祝儀等もそうですが、私は毎回ネットで調べないと自信をもって書けない人間です。

なのでこの日も「厄払い のし袋 書き方」

と検索をし、それを参考に書き始めました。

上の部分に「御初穂料」、その下に厄払いを受ける本人の名前をフルネームで書くのですが

名前の例に「厄除 太郎」と書かれていたために

素直に従った結果「厄除 江里佳」と書いていました。

違和感はまるでなく

疑うこともせず

筆は踊るように漆黒の涙を流しながら

のし袋を染めていました。

横でぬれせんを食べていた母が私の愚行に気付き

「あなた、いつお嫁に行ったの?苗字変わってるけど」

と、せんべいをしみしみ噛みしめながら教えてくれました。

ありがとう、世界。

ありがとう、母。

あなたの娘は受付で恥をかかずにすんだよ。

いまだに苗字が「松原」である娘の奇行に

母は今何を思うのでしょうか。

私はね、産んでくれてありがとう。

なんなら推しを産んでくれてありがとう

って、推しのお母さまにも思うよ。

ではでは今日はこの辺で。

皆様素敵な一年にしましょうね。

追伸

なんかまだ新年を迎えた実感がないのは

年越しの瞬間に不燃ごみを捨てに外に出て

帰ってきたら年が明けていたからかもしれません。

まさに年が変わるとき、私は家の不燃ごみ置き場で

しっかりと分別しようと、大量のごみを漁っていました。

2022年になった瞬間、何してましたか?みたいな話が出るたびに

「家でまったりしてました」とか答えていたけど

本当は素手でごみ漁ってました。

2022年になった瞬間の第一声は「うぁ、手なまぐさっ」でした。

そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。

ばいばいばいばいばい~~~~~~~ん

おまけ。

るんるんごるふん☆